第19番 青蓮院 門跡
ご朱印
おほけなく うきよのたみに おほふかな わがたつそまに 墨染めの袖
家田荘子コラム 十九番 青蓮院
青蓮院門跡の近くを流れる白川。そこには「行者橋」という細い一本の石橋がかかっています。千日回峯行の行者さんが渡る橋です。 平安神宮から知恩院に抜ける「神宮道」の石垣の上に大きな大きな樹高26メートル、樹齢800年の大楠木が4本と境内に1本見えます。親鸞聖人お手植えと言われています。大楠木に囲まれるようにして北に面して建つのが、青蓮院の長屋(ながや)門です。さらに足を進めると、青蓮院門跡と書かれた大きな立派な薬医門があり、ここからお寺に入ります。 門をくぐって右に折れると左手に、「平成の庭」があります。 受付を入ると、まず、ご門主の書かれた「南無大聖大悲不動明王」と書かれた掛軸が目に入ります。 お守り、香など、いろいろと楽しいものも売っている売店を通って、華頂殿に入ります。客殿(白書院)は、その昔門主の私的な対面に使われた所ですが、ここから相阿(そうあ)弥(み)作の築山泉水庭が見えます。相阿弥が作ったものを江戸時代の大名茶人・小堀遠洲の手も入っているそうです。豊臣秀吉が、復興に相当尽くしたと言われています。また紫、赤、黄と、大胆な色使いの木村英輝氏による「青の幻想」という題の60面の襖絵も見られます。 「龍心池(りゅうしんいけ)」の築山には石塔。二枚石で作られた灰色の反りの美しい橋は「跨(またぎ)龍(りゅう)の橋」と呼ばれていて、その下は鯉がいっぱいです。鯉の赤ちゃんもいます。この辺りは特に、春と秋のライトアップがとても美しいです。 華頂殿から小御所へ続く廊下の脇に「一文字手水鉢」があります。細長い自然石の上部を平らにして水を溜めたものです。豊臣秀吉が奉納したそうです。 さらに奥の、本堂内陣へと向かいます。お前立ち不動明王様と、二童子が祀られています。 青蓮院内に入った時から、あちこちに、「ご本尊青不動お参りは、将軍塚青龍殿へ」と案内が貼られています。36不動尊霊場の納経は、2014年から、将軍塚青龍殿で行われています。 ご本尊青不動は移られましたが、本堂には、まだまだ数々の仏様がいらして、お力を貸して下さいます。お前立ちの左には、4体の聖天さんがいらっしゃいます。お不動様と合わせて拝むと、力をいただけると言われています。 かつて聖天堂が、青蓮院にあったそうです。ところが、廃仏毀釈で、聖天堂がなくなってしまい、現在はこちらにいらっしゃいます。聖天さんの中央には11面観音様がいらっしゃいます。 お前立ちの右は、薬師如来様と12神将です。栗田神社の本地仏だったそうですが、廃仏毀釈で、放り出された本地仏を青蓮院が引き取ってお祀りしているそうです。脇侍として、日光菩薩様、月光菩薩様もいらっしゃいます。 この本堂は熾(し)盛光堂(じょうこうどう)といって、3間4面の小堂です。小御所から続いて境内の最奥に面しています。ご本尊の熾盛光如来を描いた秘仏・約2メートル四方の曼荼羅が厨子内に納められているそうです。熾盛光如来をご本尊とするお寺は、日本で唯一、青蓮院のみです。現在の熾盛光如来は、豊臣秀吉によって400年ほど前、復興再作成され奉納されたものです。 ご本尊のお前立ちとして新潟県糸井川産翡翠・種子(しゅし)(梵字)が祀られています。その左には、重文の快慶作兜(と)跋(ばつ)毘沙門天立像がいらっしゃいます。
19番 青蓮院門跡・将軍塚青龍殿
東山山頂の将軍塚へ向かいます。京都市の無料駐車場につづく参道のつきあたりの福徳門から入って紅葉の下を通り抜けるとすぐ、茶色い建物の大日堂があります。平安時代作の石造りの大日如来様は、明治時代に付近の地中から発掘されました。現在は青龍殿の内陣で、向かって左に鎮座されています。 大日堂には、受付と売店があります。拝観料¥500を支払い、受付の右手に行くと門があります。そこをすぎて左へ廻ると青龍殿です。 平成26年(2014)10月、京都東山山頂に大護摩堂・将軍塚青龍殿が建立、落慶されました。ここは、和気清麻呂(わけのきよまろ)と訪れた桓(かん)武(む)天皇が、長岡京からの遷都を決意された場所です。東西南北を四神が守る風水都市・京都が、平安京の都となりました。京都の歴史は、この美しい景色から始まったのです。 桓武天皇は、平安京遷都にあたり、甲冑(かっちゅう)を着た8尺(2.5メートル)の土人形で将軍像を作り、王城鎮護のために埋めて将軍塚としました。 将軍塚青龍殿は、北野天満宮(京都市)前にあった大正期の道場「武徳(ぶとく)殿(でん)」を移築、再建した建物です。 この武徳殿は、大正2年(1913)、大正天皇即位を記念して「大日本武徳会京都支部武徳殿」として建立されました。昭和22年(1947)、京都府に移管されたあとは、「平安道場」として、警察官の柔道・剣道の道場となりました。後に青少年の武道修行の道場にも使われましたが、平成10年(1998)、京都府は、平安道場を閉鎖し、解体処分決定をしました。それを知ったご門主がなんとか木造の大建築を保存しようと決意し移築再建したのです。 京都府と京都市を相手に、建物を建てる許可を貰うのに6年もかかったそうです。最終的に京都市は、議会にかけて条例を改正し許可を出してくれました。 将軍塚青龍殿は、奈良大仏殿の横幅半分の木造大建築物で、国宝・青不動をお祀りしています。木造新築の大舞台は、清水の舞台の約5倍もあり、京都市内と大阪近郊まで見わたせます。 平成25年12月許可取得後、宮大工さんと多くの工事関係者の献身的なご努力によって、なんと10ヵ月で建立したそうです。 建物は檜造りです。檜の寿命は1000年だそうです。まだ900年も残っています。床をよく見ると、「穴うめ」がいっぱいあります。ここにも移築に当たった職人技を見せつけられます。小さな「穴うめ」を見つけ、一つ一つ、その芸術的職人技を観賞するだけでも楽しいものです。 柱は、檜の中心の硬度の高い赤い部分をけずり出して使っているそうです。周囲の見物席から「柱が邪魔にならず、よく見えるように柱を細くしたかったのでは」と、ご門主。上まで通しの一本柱で、立派な姿ですが、今ではこれらと同じ材木は、入手は極めて困難だそうです。 入口に「青龍殿」と書かれています。中に入ると、とにかくデーンと構えて広く、また良質の木の香が鼻をくすぐります。入ってすぐ左が納経所で、とても丁寧にご朱印して下さいます。将軍塚青龍殿の外陣は537平方メートルで、高さは14.5メートル。東西約26メートル、南北は20メートルの広さがあります。また、護摩壇のある内陣だけでも138平方メートルと広く、東西12.8メートル、南北11.4メートルの新築です。 内陣の前に「道心」と書いてあります。ご門主の筆です。内陣まで入って参拝することができます。床暖房で暖かく、冬に震えながら拝まずにすみます。左右は障子なので、堂内はとても明るく、開放的です。 護摩壇の向こう、正面に大きな大きなお前立ちが奉懸されています。でもお前立ちは、本物のご本尊と、ほとんど変わりがないそうです。 ご本尊・青不動明王様は、お身体の色が青黒(しょうこく)なので「青不動」と呼ばれていて、日本三大不動画の一つとして大変有名です。 平安時代中期(11世紀)の仏教絵画最高傑作の一つで、国宝指定です。縦203センチ、横109センチの絹本礼拝画像です。絹本の濃茶褐色の地に、朱と丹で燃え上がり揺れる炎が描かれています。その中央に、剣と羂索(けんさく)を持った青不動明王様。7体の火の鳥迦楼(かる)羅(ら)が火炎の中に浮かび上がっています。気迫に圧倒され、とにかくすばらしいの一言。合掌したまま、呆然と立ちすくんでしまいます。1000年という時間の重みが……もう時空を越えていますね。 ご本尊様は、お前立ちの後ろの奥殿にいらっしゃいます。2重の防火シャッターが設置され、温度・湿度が常に一定に保てるよう24時間自動調整をしているそうです。展覧会などには、決して出さないというご本尊です。2016年の落慶から3ヵ月間だけ、ご本尊様がご開帳され、約30万人が参拝されました。 外陣の壁一面に100枚以上の大木札が掲げられています。大口寄進協力者のお名前です。 外に出て、将軍塚青龍殿を見上げてみると、鬼瓦がちょっと変わっていることに気づきます。よく見ると、「龍の爪」が鬼瓦を?んでいます。新門様の発案だそうです。「龍の爪」を見つけた瞬間、「すごいの見つけちゃった!」と、とても得をした気分で笑みがこぼれてしまいました。 本堂の後ろは、清水寺の舞台の約五倍の木造の大舞台です。右は比叡山、左は愛宕山、京都の町が一望できます。思いっきり深呼吸したくなる見事な景色です。 将軍塚青龍殿を出て右へ、将軍塚の前を通って44段の階段を登ると、展望台に出て、さらにすばらしい景色を楽しむことができます。大文字の送り火をすべて見ることができるそうです。 展望台から下りると、今度は、ご門主がデザインされたという庭園の観賞です。こちらには、紅葉が約220本、桜が約200本の他、源平垂れ桃、藤、シャクナゲ、サツキなどが植栽されています。東屋を移築、滝や川の流れ、紅葉の大木の移植、借景庭園、枯山水庭園等ご門主の「皆さんを喜ばせたい」というサービス精神が、存在するもの一つ一つに込められています。紅葉の根を踏まないように木道の工夫もされています。 拝観時間は、9時~17時(16時半受付終了)ですが、最低30分は必要です。 本尊 絹本着色像の青不動
近畿三十六不動尊霊場会先達・作家家田荘子寺院紹介
- 名称
- 青蓮院門跡(しょうれんいんもんぜき)公式サイト
- 通称
- 旧粟田御所(あわたごしょ)
- 不動尊について
- 呼び名は青不動。絹本着色像の原寸大原色写真を安置。
- 所在地
- 京都市東山区粟田口三条坊町69-1
- 郵便番号
- 605-0035
- 電話番号
- 075-561-2345
- FAX
- 075-561-0383
- 宗派
- 天台宗
- 開山
- 伝教大師最澄 門跡初代は行玄(ぎょうげん)
- 創建
- 延暦4年(785)伝教大師が、比叡山上に延暦寺を開かれた時の僧坊の一つとしての青連坊に始まる。その12代行玄大僧正の時、久安6年(1150)美福門院の御願として京都に都の本坊を建て、青蓮院と改称せられた。
- 詠歌
- おほけなく うきよのたみに おほふかな わがたつ杣に 墨染めの袖
- 行事
- 秋の1日を法要の日と定め、平安時代の天台宗法儀の姿に復原して行っている。修正会(元旦)、大文字送り火法要、春秋彼岸会。毎月満月の日に青不動護摩供を厳修している。春秋境内全域をライトアップして特別拝観あり。
- 特色
- 宮殿風の建物群とそれにふさわしい庭園。出家された親王のご住居であったことを特色とし、明治までは皇族でなければ門主になり得なかった。そして天台座主は門主の中から選ばれた。ご本尊は大日如来の仏頂尊の熾盛光如来である。境内は国の史跡に指定されている。
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- 徒歩
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- 京都駅より市バス5番で「神宮道」下車。進行方向と反対に十字路を横断、坂を上った左側。
- 京阪バス、江若バスの大津方面へ向う場合は、神宮道下車、進行方向と反対に十字路に戻り左へ横断、坂を上る。
- 地下鉄東西線「東山駅」下車、1番出口より徒歩5分。
- 帰りは門前を右へ坂を下り、前記十字路を横断せず左折したところに3つ共通バス停あり。
- 青龍殿順路 三条通蹴上(けあげ)から五条に通じる東山ドライブウェイを上がる。青蓮院門跡よりタクシーで10分程度。 循環バスが三条京阪から出ている。 三条京阪発9:39、10:39、11:39、13:12、14:12、15:12、16:12。 将軍塚青龍殿発10:27、11:27、13:00、14:00、15:00、16:00。 土日祭と5月1、2日、一日乗り降り自由。 青蓮院から徒歩で行く場合、約30分。青蓮院を出て右、坂を下って、点滅信号を右に曲がる。小学校の前を右に栗田山荘にぶつかったら左、尊勝院を通って木橋を渡り、あとは、トレイル東山コースを一本山道。 歩きの帰りは、山門を出て右、東山トレイルコースで下りる。いくつか道があるが、知恩院の鐘楼裏へ下りるコースをお勧め。道が整備されていて、歩きやすい。
- 車・団体バス
- 門前の道は知恩院の方へ向う一方通行。帰路は門前を左へ知恩院黒門の前を右へ、広い坂を下り白川を渡って東大路へ。青蓮院参道脇の広場は、バス3台位駐車出来る。
- 拝観
- 殿舎と庭園、500円。
- 附近の名所旧跡
- 粟田神社、知恩院、円山公園。八坂神社。
- 山主
- 門主(もんす)「東伏見(ひがしふしみ)慈晃(じこう)」
- 特産
- 清水焼きのおうす茶碗を院内で頒けている。
- その他
- 庭園は四季を通じて美しいが、特に5月の霧島ツツジは有名。飛地境内将軍塚は展望台2ヶ所あり、京都市内を全部見渡せる。もみじと桜の名所。