第21番 中山寺
ご朱印
むらさきの 雲の峰々 中山の 衆生たすくる 五大尊
家田荘子コラム 二十一番 中山寺
山門では筋骨隆々の仁王様が迎えて下さいます。「仁王様」とは、境内に邪気や悪人がはいることを防ぎ檀信徒の修行が妨げられないよう守っている守護者のような仏です。山門には、たくましい仁王様を慕って多くの草鞋が奉納されています。 山門は、望海楼ともいい徳川家光公により建立されました。正保3年(1646)と書かれた木札が、仁王様の胎内に納められているそうです、登願者や仏師、絵師などの名も書かれています。 山門をくぐった先の参道のには、寺院が左手に3ヶ寺、右手に2ヶ寺並んでいます。参道脇には、大きな鉢植えが並び、春はツツジや蝋梅、夏は紫陽花や蓮、コスモスなど、季節の花を鑑賞することができます。 参道左手の総持院は五大力不動や鬼子母神、宝蔵院は厄除開運祈願所で大日如来と弁財天がまつられています。右手の華蔵院では、交通安全祈祷が行われ、阿弥陀如来と毘沙門天がまつられています。観音院では、疳かんの虫 封じや夜泣き封じの祈祷所で普賢菩薩と大黒天がおられます。そして成就院では聖天様がまつられ、十三まいりがおこなわれています。 こうして、歩いているうちに、自然に七福神巡りや生まれ年の干支の御仏たちを詣でることができ、新しい発見がいっぱいです。といいますか、私が知ら なかっただけなのかもしれませんね。 そしてようやく 30 段の石段に到着。右の方には、妊婦や高齢者のためのエスカレーターがあります。立派なカイズカの2本の大木が美しいくねりを見せてくれています階段の右手には、大正5年に作られた石柱があり、右にビル のような巨大なお堂が見えて来ます。この紫雲閣が寺務所であり、納経所でもあります。 斜め前に五百羅漢堂があります。「親兄弟の顔が見たくば、中山寺の五百羅漢 の堂にござる」と入口に書いてあります。七百体を超える羅漢様にはいろいろなお顔があって、どなたもどなたかに似ていらっしゃいます。五百羅漢堂のご本尊は、釈迦如来様で、お弟子さんの羅漢さんをお祀りしているのです。また地下には千体仏奉安所があります。 さて左の赤とブルーの豪華な建物は、冥途の裁判官、閻魔大王のお堂です。 地獄の釜が開く 2 月 16 日と8 月 16 日には、閻魔天の縁日ともされており大根たき法要、施餓鬼法要が行われます。 その先に屋根のあるエスカレーターと、石段があります。左上には多宝塔(大願塔) が見えて来ました。右は青い五重塔です。 階段を登れば本堂で、白い門帳と赤紫の紐が垂れています。 本堂には、沢山の腹帯が積まれていますが、中山寺は安産祈願の観音さまと して有名なのです。安産祈祷をお願いすると、10日間祈願し、腹帯とお守りを 授けて下さるそうです。本堂の屋根は、緑、赤、黒、金(黄)、ブルーの美しい彩色が施されておりワタリガニ、鹿、豹、蓮、牛、亀などの動物が雲間に描かれていて、それ を眺めるだけでも、とっても楽しいです。 ご本尊は十一面観音立像で毎月18日には御開帳されます。左に愛染明王様、右はお前立ちです。 本堂を出て右に、県指定の重要文化財である護摩堂があります。正面に掲げられている「五大尊」の文字は金看板です。「紫の雲の峰々 中山の衆生たすくる五大尊」と書かれていて、不動明王と四大明王で構成されたの五大力様が祀られています。濃い茶色のシックなお堂にマッチした古ぼけ たお賽銭箱が置かれて、五段の石段を登って中を覗くと、五大力様を拝見することができます。 護摩堂の隣が聖徳太子をお祀りしている開山堂です。阪神大震災後、隣接する護摩堂を参考に新築され比叡山の担い堂のように廊下によって繋がっています。 護摩堂の北側にある階段は、弘法大師空海がおられる大師堂へと案内してくれます。大師堂に向かって立つ修行大師の背後には宝塚の街が広がっていて、 すばらしい眺めです。さわさわと一斉に木の葉が揺れて、すごく心が落ちつき ます。ずっとここに居たくなります。観音様のお寺らしく、至る所が優しいお寺、やわらかいお寺です。 本堂の東側には、とても大きな建物があります。祈祷殿と呼ばれています。初(宮)参りの待合所になっています。中山寺は昔、聖徳太子によって仲哀天皇の后、大仲姫の鎮魂供養のために創建されました。 大仲姫といえば、仲哀天皇 の前の皇后であり、北摂地方の豪族、大江氏出身です。二人の皇子を残して亡くなったあと、仲哀天皇が、後妻に神功皇后を迎えます。ところが仲哀天皇の死 後、神功皇后が謀略をめぐらして大仲姫の生んだ二皇子を滅ぼしてしまうのです。中山寺石棺には、湖中に身を沈めた次弟君の忍熊王のご遺体が納められていたと伝わっています。この石棺で洗い清めると、安産間違いなしということで、安産手水鉢と言われています。 大仲姫の石の櫃 からとは、寿老神堂の後方右にある中山寺の古墳で、別名「いしのからと」と呼ばれています。横幅2.5メートル、奥行き3.60メートル、高 さ3.20メートルの石窟内に石棺が安置されています。 その寿老神堂は、閻魔堂の後ろにあります。そこから坂を上ると、信徒会館です。その一階には「観音茶屋」もあり、食事ができます。宝塚の町並みが一望でき、シャッターチャンスの場です。信徒会館に隣接して絵馬堂(休憩所)があります。その先の中山観音霊園の坂道を下りれば、日本最古の厄神明王様のいらっしゃる奥の院に、約2キロで行けます。 本堂の西側には阿弥陀堂があります。その横手前には、お地蔵様が並んでいらっしゃいます。「北向き地蔵」と言い、北向きです。お地蔵様は、大地であり、宝物を包蔵するという意味があります。地獄にあって、 苦しみの中の人々を救って下さるありがたい菩薩様です。 北向き地蔵の前で毎年行われる「亥の子まいり」は、旧暦10月亥の日に詣でて、箒 ほうきで地蔵尊を掃き清めた後、 自分自身を加持します。眼病、肩こり、腰痛に霊験が期待できるそうです。二万坪の広い境内全部を廻るには相当な時間を要します。もちろんお参りが第一番ですが、それぞれのお堂を見て歩くだけでも楽しい、植物を見て廻るだけでも楽しいお寺です。 中山寺では、冬は、白梅、紅梅。春は山つつじと桜、藤。初夏は紫陽花。夏 は蓮。秋は紅葉や菊、そして萩と、花がいっぱいです。その花や木、寺域整備 のため、中山寺では、植樹1口¥1000で受け付けています。私たちは毎日通え ませんが、ご本尊様のお近くで、植樹した木が、自分の代わりにずっと居て、 お経を聞いていてくれるのです。ステキな代理参拝ですよね。 2016 年末、400 年ぶりに五重塔が再建され、翌2017 年 3 月 30 日と 4 月2日には落慶法要も行われました。山門の北側にいる獅子と狛犬も復元修復され、弁柄漆のみで仕上げられた仁王様も復元修復されました。 中山寺お参りして心地いい理由の一つには、喫煙所以外、境内タバコを禁止している所です。境内のベンチ横に灰皿が置かれていて、ベンチに坐りたくても喫煙者がいて近づけないという札所は、全国でけっして少なくありませんが、安産祈願の妊婦や幼児が訪れるからでしょうか。やっぱり中山寺は優しいお寺です。境内を歩いていても、僧侶やお寺の職員さんから「ようおまいりです」など、声かけがあり、心がまぁるくなって行きます。 中山寺の山門は24時間オープンです。大晦日からお正月三ヶ日には、およそ20万人が参拝されます。阪急電車の中山観音駅からお寺まで徒歩で5分もかからないのに、お正月は 2時間かかるそうです。
近畿三十六不動尊霊場会先達・作家寺院紹介
- 名称
- 紫雲山 中山寺 公式サイト
- 不動尊について
- 護摩堂には降三世・軍茶利・大威徳・金剛夜叉の四大明王を配し、中尊の不動明王とあわせて五大明王を祀る。
- 縁起
- 慶雲3年(706)文武天皇の時代に、大和長谷寺の徳道上人が伊勢神宮を参拝した。その時、天昭大神より日輪を感じ、11面観世音菩薩を感得され、33ヵ所観音霊場を定めて、中山寺を1番札所とした。当時は、「極楽中心仲山寺」と称された。後に花山法皇の巡礼に従い24番の札所になった。兵火や災害に度々遭ったが、ご本尊と不動明王様は残った。 源頼朝など武家や庶民にも中山寺は深く信仰されて来た。豊臣秀吉は、長く子宝に恵まれず、中山寺で祈願した結果、秀頼を授かったという。豊臣秀吉亡き後、秀頼は片桐(かたぎり)且(かつ)元(もと)に命じ、伽藍を再建した。明治天皇、御平産の勅願所となり、以来、「安産の寺」として有名になり、全国から腹帯をいただきに来る。 本堂は、慶長8年(1603)秀頼公が再建した。毎年8月9日の夜、「星下り大命式」が行われ、この夜、33観音様が集まる霊話が伝えられる。この日にお参りすると、四万六千日参詣と同じ功徳が受けられるという。 中山寺の「鐘の緒」は、女性の無事、産生安楽を祈る「安産の腹帯」として古来より伝統を持ち、信仰されて来た。
- 所在地
- 兵庫県宝塚市中山寺2丁目11-1
- 郵便番号
- 665-8588
- 電話番号
- 0797-87-0024
- 宗派
- 真言宗 中山寺派
- 開山
- 聖徳太子
- 創建
- 推古天皇時代 初期頃(593~628)
- 詠歌
- むらさきの 雲の峰々 中山の 衆生たすくる 五大尊
- 特色
- 本堂・護摩堂は、慶長8年(1603)豊臣秀頼によって再建された中山寺で最も古い建物(県指定文化財)
- 交通
-
- 徒歩
- 阪急宝塚線「中山寺観音駅」下車。「中山寺」と案内表示されているので、改札を右(北側)に行く。道の左右は門前町で、ヤキソバや草だんご、夏はかき氷など売られて いる店が並ぶ。かわいい喫茶店もある。 JR宝塚線中山寺で下車する場合、北西へ徒歩10分ほど。