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23番 醍醐寺

 

 

ご朱印

千年経て わきて尽きせぬ 山清水 不動の慈悲を 今に伝えて

家田荘子コラム 二十三番 醐醍寺

旧奈良街道に面した醍醐寺は、時代劇に出てきそうな立派な白壁と、それを背に松並木と小川が続き、石橋を渡った先に総門があります。厳かな総門をくぐると、西大門(仁王門)に向かって、桜馬場が、まっすぐと延びています。左右は桜です。 総門入って右へ行くと、霊宝館や、お休み処「雨月茶屋」そして京都駅と醍醐寺を直通で結ぶ、山科急行のバス停や、駐車場があります。総門からすぐ左に行くと、三宝院と、醍醐寺拝観料を収めて頂く三宝院拝観受付があります。拝観料は、三宝院と霊宝館と、伽藍の拝観を含んでいます。納経所のある伽藍にお参りする際には、この受付で拝観料を納めることになります。 三宝院には、何年か前から特別拝観区域になってしまった本堂に、鎌倉時代に活躍した快慶作の美しい弥勒菩薩様がいらっしゃいます。三宝院は、醍醐寺第14世座主。勝覚僧正により永久3年(1115)創建され、その、室町幕府の将軍、義満・義持・義教を補佐した醍醐寺第73世座主・満済准后より醍醐寺座主が居住される醍醐寺の本坊となりました。豊臣秀吉が慶長3年(598)に催した「醍醐の花見」をきっかけに、秀吉が設計し整備された庭が有名で、現在、特別名勝・特別史跡になっています。 桜馬場をすぎると正面に、古くて迫力のある仁王門がそびえ立っています。仁王門から、紅葉のアーチ参道を通って伽藍に入って行きます。 道なりに参道を進むと赤いお堂、国宝・金堂があり、右側を見れば国宝・五重塔があります。 金堂は、豊臣秀吉の命により和歌山県から移築され、坐像の薬師如来様、その脇侍として日光菩薩様、月光菩薩様、そして四天王様もいらっしゃいます。 また、薄い朱色をした五重塔は、醍醐天皇の菩提を弔うために朱雀天皇が起工し、天暦5年(951)村上天皇の時に完成しました。木材の組み合わせ方が繊細で巧みな五重塔は、京都府下で最古の木造建築です。 金堂で醍醐寺のご本尊・薬師如来様に手を合わせた後、階段を下ると左側に柴道場があり、そのご本尊で大きな石仏の不動明王様が立っていらっしゃいます。後方に建つ不動堂には、五大明王様がいらっしゃいます。 私が伺った時は、加行(けぎょう)の最中か、修行僧用の護摩壇が4壇置かれていて、ごま油の匂いが強く香っていました。暗い堂内で焚かれる護摩の炎は、すごくマッチしているように思え不動明王様の慈悲の心を感じとれるような雰囲気が出ていました。 境内を歩くと、多くの植樹に気がつきます。そこには有名な人だけでなく、さまざまな願いや思いを記した多くの方々の名前が添えられています。 再び参道に戻り、少し進むと左側に石畳の道が出てきます。まっすぐ見ると苔の生えた岩の上に、役行者様が紅葉に囲まれていらっしゃいます。さらにその奥には、真如三味卵堂が見えます。苔と木々に囲まれ正面には祖師堂(大師堂)で、理源大師と弘法大師が鎮座されています。 納経所はまだ、この先、旧伝法学院前(トイレ前)を過ぎ、朱色薄れてピンクになった日月門をくぐった先です。門をすぎると、准胝観音様ののぼりの数が増えていき、観音堂が近づいて来たことを知ります。 きれいな庭が左手に広がり、奉納されたしだれ桜が続きます。ようやく朱色の大きな建物、観音堂(旧大講堂)が見えて来ました。のぼりに誘われるように、お堂の左側の方より堂内に入ると納経所がありこちらで、御朱印や納経をしています。 中央に大きな座像の阿弥陀如来様。観音堂の主役の准胝観音様はというと、大きな阿弥陀如来様の前の厨子に入っていらっしゃいます。こちらの観音様は、子授け観音様です。かつて醍醐山の山上・上醍醐に准胝がありそこまで行くのに1時間程かけて山を登らないといけないのに、いつも多数の参拝者で賑わい大変な盛況ぶりだったと覚えています。とてもパワフルで、子供の成長を願う母のようなお優しい准胝観音様でした。ところが平成20年(2008年)、落雷で全焼してしまったことからお堂で祀られるようになりました。 向かって右にお地蔵様と阿弥陀如来様。左に大日如来様と大黒天様がいらっしゃいます。今はこちらの観音堂で近畿36不動霊場会の納経も受け付けて貰えますが、以前は上醍醐・五大堂手前の納経所で行われていました。 やっぱり上醍醐の五大堂へ行ってご挨拶をしたいという方は、観音堂から先、お休み処「寿庵」(ゆば料理)をすぎて、回転扉をくぐり上醍醐への2キロの参道を登る必要があります。 石の鳥居をくぐると、右手に水掛けの、仏様方が並んでいます。左手の女人堂の前を通り、道順に従って、その先の受付に来るようになっています。こちらで上醍醐入山料を支払います。先程の醍醐寺拝観券を持っている人は¥500。ない人は¥600。山の整備代と解釈してご奉納下さい。 上醍醐に入ってすぐは、右の川を眺めながら、石のボコボコした土の山道を上り、森林浴がとても気持ちいいのですが。でも、だんだんと急な階段も出て来たり、大きな石やゴツゴツの道が現われたりします。「醍醐の花見」跡の「槍山」を過ぎて平坦な道を少し歩くと左に小さな滝が見えてきて、ここから、石段が始まります。この石段を登った先に「不動の滝」と呼ばれる滝行場のがあり、滝の上に不動明王様がいらっしゃいます。質素ですが、線香立てもあります。ここでお参りをします。ベンチがあるので休んでそのままお参りを忘れて出発しないで下さいね。 観音堂からここまで約1.1キロ、30分。ここからが本格的な山道の始まりです。石段が続きます。参道の脇には町石がありその、番号がついています。増えて行くとそれが励みにもなります。 そういえば18年前、二度目の上醍醐への登拝の時、一人で登っていた私の108玉の数珠が、11番をすぎた所で切れて、土の上に散らばりました。 数珠を切ると因縁が切れるといいます。行場で切れるなんて、なんて幸い!と、お気に入りの念珠だったので、一粒残らず拾って、すぐに念珠屋さんで修理して貰ったことを思い出しました。 赤い鳥居の音羽魔王様をすぎると、苔石があって滑りやすいのと、長い階段が続くので、一息つきながら注意して登って下さい。 下から45分~50分(滝行場での参拝時間を含まず)登り切ったところで、上伽藍の入り口に到着します。左手で役行者様が迎えて下さいます。その後は平らな道から、少々下り坂に入りホッとします。まもなく、とても懐かしい昔ながらの、そして少し、香るトイレがありますが、五大堂下の旧納経所横にはバイオトイレがあります。ここから五大堂や開山堂を参拝し戻ってくるには、30分~40分はかかります。 まもなく上醍醐寺務所が右手にあり、左側が参道です。寺務所裏口前を通りその参道のつきあたりを左上に行くと、醍醐水があり、さらにその上にはもと准胝堂のあった場所ですが、まずは道なりに右の方に進み五大堂へ向かいます。 階段のない登り坂が続きます。まもなく木戸を通り、礎石の残る経蔵跡に出ます。そこで左へ行く道と右へ行く道とが出て来ます。左に行くと、准胝堂跡地へ繋がっているので、右の方へ行きます。経蔵跡を左に見ながら、ぐるりと回り坂を少し上がった先を左に戻るように行くと、茶色の建物、薬師堂があります。滝行場から薬師堂まで、私の足ではちょうど2000歩でした。 上醍醐の薬師堂は、平安時代、延喜7年(907)、理源大師の時、建てはじめられたものですが理源大師没後は、弟子の観賢僧正によって完成された。その後、朽損し保安5(1124)年に落慶し上伽藍で、最古の建造物です。約900年にもわたり風雪に耐えて来られたのです。脇侍は、月光菩薩様と日光菩薩様がいらっしゃいます。こちらの薬師如来様は、「箔薬師」と言われています。金箔が貼られているのです。帝が病気平癒を祈るために体の不調と同じ場所に金箔を貼り祈りを捧げたそうです。現在は下醍醐の霊宝館に安置されています。 私はこちらの薬師如来様が大好きです。合掌していると、包み込まれそうな優しさを感じ、体が温かくなって来ます。醍醐寺にお参りに行くと、薬師如来様にお会いするのが一番の楽しみです。 薬師堂でお参りをすませ、元の道へ戻り少し行くと、突き当りに石の阿弥陀様が見え、ここから再び登り道が始まります。しばらく道なりに進み鋭角に曲がった突き当たりに鐘楼があり右へ行けば如意輪堂や、白山官があります。また、鐘楼を左に行き、休憩所、旧納経所前を通って18段の石段を上がった先が、やっと五大堂です。 まずは、柴燈護摩壇の前に役行者様、お大師様、理源大師が並んでいらっしゃいます。その先、茶色のおごそかな建物は延喜13年(913)建立され、昭和15年(1940)に再建された五大堂です。堂内には不動明王様を中心に降三世明王様、軍砂利明王様、大威徳明王様、金剛夜叉明王様を左右に配し通称「五大力さん」と呼ばれている五大明王様が中にいらっしゃいましたが、現在は霊宝館に安置されています。 毎年2月23日の「五大力尊仁王会(にんのうえ)大法要」を前に同前行法要が、この五大堂で2月15日から21日までの7日間にわたり計21座奉修されます。初日の15日と中日の18日、結願の21日には、1日に五座もの奉修がされていましたが、現在では「五大力尊仁王会大法要」と同じく金堂で奉修されています。前行法要内で、毎度ごと焚かれる塩護摩は15日、18日、21日の開白、中日、結願の座には五名の僧侶によって五塩護摩が同時に焚かれます。なお、前行法要でご祈願される「御影」のお札の申し込みをしておくと、23日お参りできなくとも、後日郵送でも受け取れます。 ひさしぶりにお参りした五大堂は、今まで五大明王様の陰になって見えていなかった「仁王護国曼荼羅」の巨大な壁画が堂内の釣り灯籠によって写し出されています。中央の壁画には「五法菩薩」左右の壁画には八天と八供養菩薩が描かれています。今も堂内には奉納された沢山のお酒が並び護摩の時に鳴らす大きな太鼓も以前のままありました。 ここの中に入ると、私はいつも心がほっとして、体が軽くなって行きます。上醍醐を登って来たという満足感も加わって、とても落ちつき、ここから去りがたくなります。 お名残り惜しいですが、おいとまの挨拶をしっかりして、今度は五大堂と反対側、如意輪堂の方へ向かいます。坂を少し登って、奉燈の先、カーブを廻った先、左手に見上げるように黒い如意輪堂があります。 如意輪堂は、舞台のような立派な木柱を間近で見ることができますが、中へは入れません。如意輪観音様と毘沙門天様と吉祥天様がいらっしゃいます。その先に白山大権現様、開山堂と並んでいます。古い茶色の大きな建物。開山堂には、理源大師、醍醐寺第一世座主観賢僧正(般若寺僧正)、弘法大師がいらっしゃいます。 帰りは、もと来た道を下り、薬師堂からまっすぐ坂を下りると、准胝堂跡地に着きます。広々とした跡地ですが、「夏草や 兵(つわもの)どもが夢のあと」のように、とても淋しくなります。新しく准胝堂が建てられるのが、とても待ち遠しいです。その跡地の前方に小さな階段があり、小高い所に登れるようになっています。柏木大明神様です。火災の中、「よくぞ残って下さいました」、そんな思いを込めて合わせる手に力がこもります。 跡地から110段の階段を下りると霊泉醍醐水です。醍醐とは「乳製品で五味の最上なるもの」の名称のことを言うそうです。「このお寺は、心の糧として仏法が最高である」という意味です。重要文化財・「醍醐寺縁起」には地主神・横尾明神が、白髪の翁の姿で現れ、湧水を口にして「醍醐味なるかな」と称賛。理源大師が寺の建立を述べると、「仏法を広めるならばこの地を献じ、守護しよう」と告げられたと書かれています。 この醍醐水は、誰もがいただけます。また左手前には、国宝・清瀧宮拝殿があります。寝殿造りの手法を生かした前面が崖にさしかかる懸(か)造りです。古風で純粋な伝統的手法で、永享6年(1434)に再建されたものです。紅葉と拝殿とが溶け合って、秋は特に静かな美しさがあります。 春は桜、夏は深緑、秋は紅葉、冬は雪と、四季おりおりとても目を楽しませてくれる醍醐寺ですが、私は12月と1月と2月に上醍醐に登ったことがあります。とにかく寒かったです。雪が凍って滑る所もありますので、雪景色はとてもきれいですが、雪に強い靴を必ず履いて下さい。また夏は大汗をかくのでもちろんのこと、冬でも汗をかくほどの山道です。体を冷やしますから、着替えを用意して行って下さい。 とはいえ、お子さんも、かなり上のお姉さん方も、ヒーヒー言いながら、春や秋には登っていらっしゃいます。初心者も受け入れて下さる慈悲深いお行の山だと私は思います。「初霊山行をする人」の場合、私はまず上醍醐か、33番札所犬鳴山へお連れしています。

近畿三十六不動尊霊場会先達・作家>家田荘


寺院紹介

名称
醍醐山(だいごさん)醍醐寺(だいご)公式サイト
通称
深雪山(みゆきやま)醍醐寺
不動尊について
「五大力不動明王」通称五大力さんと呼ばれている五大力明王の主尊である。上醍醐五大堂に安置。公開。木造座像。重要文化財。
縁起
京都の南東に位置する醍醐寺は貞観16年(874)聖宝(理源大師)によって、醍醐山(笠取山)の山上・上醍醐で開創される。横尾明神の教えを受けて泉を発見し、その地に自ら刻んだ准胝観音様、如意輪観音様を安置したのがはじまりと言われる。その後、延喜帝(醍醐天皇)が子宝に恵まれるよう准胝観音様に祈りを捧げ、隠子(おんじ)皇后との間に二人の皇子(後の朱雀(すざく)天皇、村上天皇)が生まれたことから、さらなる信仰が高り、山の上から山の下へと諸堂が建立され、現在約2百万坪といわれる境内地を有する大寺院となった。観音、薬師、五大力信仰が1100年以上も続いている。平安時代から桜の名所だったが、豊臣秀吉が700本の植樹をして催した「醍醐の花見」によってさらに桜が有名になった。 また、醍醐寺は大峯山入峰修行でも有名である。聖宝(理源大師)は、学問を極めると共に真言密教の伝承者として大峯(入峰)修行を再興した。現在、醍醐寺には、修験者(山伏)が1500人ほど所属する。 なお、醍醐寺は、国宝75,522点、重要文化財、425点を所有し、平成6年(1994)12月、世界文化遺産に登録された。寺宝は、平成13年(2001)にリニューアルオープンした霊宝館で、春と秋の特別展をはじめ、正月3が日を除く毎日、順次公開されている。※拝観料や拝観時間はホームページ等でご確認ください。
所在地
京都市伏見区醍醐醍醐山
郵便番号
601-1383
電話番号
075-571-0029
FAX
075-571-0210
宗派
真言宗醍醐派総本山。当山派修験法頭。
開山
聖宝理源大師
創建
貞観16年(874)
詠歌
千年(ちとせ)経(へ)て わきて尽きせぬ 山清水(やましみず) 不動の慈悲を 今に伝えて
行事
1月6日
初聖宝会
2月15日~21日
五大力尊仁王会前行。仁王前行でご祈祷された盗難除、災難身代りの御影を2月23日限りで授与。
4月第2日曜日
豊太閤花見行列
5月18日
西国第十一番札所本尊准胝観世音御開扉法要
特色
上醍醐
国宝薬師堂、清滝宮拝殿、重文開山堂、如意輪堂、また五大堂、観音堂(西国観音の札所)等の建物が点在、開山より信仰の霊域である。
下醍醐
特別史跡特別名勝の三宝院殿、庭園、障壁画ならびに国宝五重塔外の建造物があり、霊宝館には数万点の寺宝を所蔵。
交通(地図はこちらをクリック)
徒歩
  • 地下鉄東西線「醍醐」駅下車。2番出口から地上へ。スーパーの1階に出るので、2階、花壇のある方へ出て、市営住宅方面へ向かう。醍醐寺総門まで徒歩12~3分。  大型の市営住宅を抜け、一般道へ出たら左へ行くか、横断歩道を渡ってまっすぐ行く。左に行った場合は、最初の角を右、竹やぶを左手に見ながらガードをくぐる。横断歩道を渡った場合も、住宅街を抜けて左、突き当りを右へ。いずれにしてもガードをくぐると正面に立派な総門が見えてくる。総門前の横断歩道には信号がなく、車がよく通るので、気をつけて渡って下さい。  JR山科駅、京阪六地蔵駅、京阪三条駅より京阪バスが出ており、いずれも「醍醐寺前」で下車。  お車の場合は、醍醐小学校の北側ゲートより入り、雨月茶屋付近か万社の場合はゲートをまっすぐ進み、つきあたりの石畳 参道を右へ曲がって徐行しながら報恩院前を通過。左の土塀の途切れた所を左折すると左側に駐車場、さらにその奥にも駐車場があります。
  • 京都地下鉄東西線「醍醐駅」下車、三宝院まで徒歩15分。
車
名神京都東I・Cより国道1号線を京都五条方面へ、外環状線、旧奈良街道を経て三宝院へ。
団体バス
旧奈良街道は大型車北進一方通行のため、北方からの進入は外環石田交差点より旧奈良街道へ。

自家用車、バスとも有料駐車場あり。徒歩、車、バスとも三宝院まで、三宝院から上醍醐五大堂まで約3km。約1時間は徒歩による。

休憩宿泊等
上醍醐、下醍醐とも休憩、宿泊可。1ヶ月以上前に予約のこと。
拝観
三宝院
大人600円、小人300円
霊宝館(宝物館)
3~5、10~12月の春秋2期開館、大人600円、小人300円。
伽藍
3~5、10~12月に国宝・鎧の内部を公開、大人600円、小人300円。
附近の名所旧跡
金剛王院(通称 一言寺)、理性院、法界寺、隨心院、勧修寺、醍醐、朱雀両天皇陵。
山主
総本山醍醐寺 座主(ざす)「麻生(あそう)文雄(ぶんのう)」
その他
春は桜、夏は深緑、秋は紅葉、冬は雪。特に醍醐の花見が有名。
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